ファンデッキ

強さや勝敗よりも、プレイヤーの趣味や遊び心を重視して組まれたデッキのこと。
ファンデッキを愛用するプレイヤーは「ファンデッカー」と呼ばれる。

具体的には以下のようなものが挙げられる。

  1. 特定の自分が使いたいカードコンセプトにしたデッキ
  2. 過去に環境での活躍実績があるが、環境を一色に染め上げた事はないようなデッキ
  3. 実用性は低いが決まった時の爽快感が大きい、いわゆるオーバーキルコンボの発動を狙ったデッキ
  4. 原作キャラクターデッキを真似たデッキ
  5. 特定のキャラクターデュエル・マスターズに限らず)など、なんらかのイメージに合致するカードで固められたデッキ
  6. カード同士の背景ストーリーを重視したデッキ

勝つことを主軸にしたガチデッキと比べると、どうしてもデッキ全体のカードパワーが低くなりがちだが、そこは致し方なしである。
ファンデッキの中にも環境に君臨するガチデッキと張り合えるものが存在することもあるが、そのような事例は少ないため、たいていはガチデッキと線引きされる。

競技化が進むデュエル・マスターズにおいては「競技大会に出るなら相応のデッキで来て欲しい」「ファンデッキはファンデッキとだけとやりあっていて欲しい」等、ファンデッキにあまりいい印象を持たない競技プレイヤーも一部存在する。
デュエマフェスですら調整の場として認識している競技プレイヤーもいる為、ファンデッキを志向したカジュアルプレイヤーとガチデッキを使った勝利第一のトーナメントプレイヤーの溝を作る原因になっている。

言うまでもないが、ファンデッキだろうとガチデッキだろうと、どこでどんなデッキを使おうが、ルールに反していない限りは本人の自由であり、大会に参加するすべてのプレイヤーに競技志向を求める(その逆も含む)方がマナー違反である。

このような事例があったからかは定かではないが、近年ではガチデュエバトルが新たに設立され、店舗大会でもガチデッキとファンデッキの棲み分けが行われるようになっている。デュエマフェスは「楽しむ」事を最優先にする大会であると再定義された今、競技志向だけを求める姿勢は尚の事控えるべきだろう。

  • 「ファンデッキだから弱い」「ガチデッキを使われたから負けた」などといった発言は厳禁。ガチデッキならもちろん、競技性のないカジュアルに対しても、相手の勝利に対する努力を否定することになってしまう。
    逆に、ファンデッキ(またはそれに近いデッキ)に負けたからと言って、悪態をついたり嫌味を言ったりするのも厳禁。
  • 近い意味を持つ言葉に「ネタデッキ」がある。ただし、ファンデッキとの厳密な隔たりはなく、「ネタ」という言葉をどのように捉えるかによって、人によってその定義は変わってくる。
  • 元々ファンデッキとして知られていたデッキが、相性の良いカードの発掘・新登場や公式大会で地雷として活躍し周知される事で、ガチデッキ入りする事が稀にある。愛するカードが評価され、デッキの活躍の幅が広がるのはいい事ではあるが、それが原因で該当カードの収録されたエキスパンションが売り切れたり、シングルカードが高騰する事もあり、ファンデッカーの一つの悩みの種となっている。
  • デッキの一種である以上、ネタに終始するわけでないならば貪欲に勝利を目指すことは必要である。漫画「デュエル・ジャック!!」で、《滅亡ルーレット》を使ったファンデッキ(作中ではネタデッキと呼ばれていた)が取り上げられた際、そのデッキ紹介では相性の良いバウンスや当時の強力カードであった《アクアン》《スケルトン・バイス》がフル投入されていた。ファンデッキであろうと最低限そのデッキを回転させる様な努力はすべきと言う好例だろう。
    • しかしカードパワーのインフレが進む今、最適なデッキを追求した末に、デッキの潤滑油として採用したカード達が当初のデッキコンセプトの力を上回ってしまうこともある。ファンデッカーはこのジレンマに悩まされることも多い。
  • ネタデッキほど尖っているわけではなく、コレクター志向の強い対戦初心者、近々のカードや環境のガチデッキの知識が多くない復帰勢が組むことも多いためか、趣旨を分かっていない対戦相手からジャンクデッキと思われてしまうこともたまにある。お互いの理解があるならまだしも、相手のデッキをジャンクデッキ呼ばわりするのは、たとえ親切で教えようというつもりであっても良くない行為であり、注意すべきである。

参考