運ゲー

ある環境または試合において、運の占める割合があまりにも大きくなること。
「勝敗があまりにも運(偶然)によって左右されてゲームとして成り立っていないゲーム」といった意味合い。

デッキビルディングプレイングといった、ゲームにおける他の要素を否定し、そこにかける労力を無駄にしてしまうため、あまり望ましい状態ではない。

昨今のデュエル・マスターズ、ひいてはTCG業界・ゲーム業界の競技性の高まりから、競技シチュエーションにおいては運ゲーや運要素による逆転要素は嫌悪・軽蔑、敬遠される傾向にある。
これは、勝利するには「今までに積み重ねてきた実力や勘」よりも「その場の運」の方が重要、となっては競技ゲームとして成立しなくなる為である。
結果逆転要素がすべて封殺・無視された状態で敗北を迎えるという事も少なくなくなり、カジュアルではこのような状態が逆に嫌悪される事もある。

対話拒否は運ゲーや運要素・駆け引きによる逆転を嫌った結果自身で勝ち筋を完結させてしまうものであり「運ゲーを許さない」という意味では対極に位置する概念である。

否定的・侮蔑的なニュアンスを含まない「運ゲー」

否定的な意味ではなく、意図して戦術として組み込まれる「運ゲー」は、ガチンコ・ジャッジ山札シャッフルからのコスト踏み倒し等、自身だけでは結果の操作が難しい不確定要素をふんだんに使って戦う戦法である。何もかもが運という完全な運ゲーというわけではなく、デッキビルディングによって運の幅は変わってくる。

当然ながらこういったデッキタイプは爆発力は大きいものの振れ幅が大きく、事故を起こせば何もできずに負けてしまう事も多い為、安定した戦績を残せない事が多い。

S・トリガーも、何枚シールドに埋まっているか、重要なタイミングでめくれるかといった運要素が強い。しかし、どのS・トリガーを何枚入れるかといったデッキビルディングが関わってくる。むしろS・トリガーを多めに入れて相手のビートダウンに対するカウンターを戦術に取り入れた【トリガービート】というデッキタイプも存在する。

互いの手札バトルゾーンカードが少なくなって今引きのみで戦うようになった状態も一種の運ゲーといえる。

その他

  • 「運ゲー」だけでなく「(プレイヤーの実力に左右されない)運の要素が絡む事象」の存在自体に否定的・侮蔑的な見方をする者もいる。
    しかしそもそもTCGに限らずあらゆる対戦型のゲームにおいて運の要素はつきものなはずであり、運ゲーとは一回のデュエルの勝因や敗因を語る言葉ではない。
    もちろん、個人として安定性の高いデッキ構築と堅実な運用を目指すことは立派なプレイスタイルの1つだが、運の要素そのものを否定するならば、極端な話プレイヤー間の実力差(プレイングだけではなくデッキビルディングの腕も含む)と初手で勝敗が決してしまい、それこそ駆け引きや読み合いなど、ゲーム自体は単なる茶番となってしまうだろう。
    相手の今引きS・トリガー等まで許せないというのなら、カードゲーム自体をやらない方が建設的である。もし完全に運の要素を排そうとするならば、それは将棋やチェスのようにデッキや初手の自由度に差が存在しないゲームであるべきであり、そしてそれは「カードゲーム」の遊び方を完全に逸脱し、否定するのと同義である。
    • 特にデュエル・マスターズはS・トリガーがゲームの華形の1つにもなっており、開発部セレクションデッキのフレーバーテキストでは「S・トリガーを信じるのも一つの手」と公式自らが時には運に頼る事を推奨するほどである。事実、強力なS・トリガーメタになるカードには規制されたものも多く、実戦では構築が大事になるとはいえ、「運も実力の内」と認められていると言える。
    • 上術のようなロマンタイプの運ゲーデッキに関する苦言も同じである。あまりにもネタ色の強い、成功率の低いデッキに対して仲間内だけでやってほしいというのならまだしも、運を高めるための構築が十分に施されたファンデッキにまで言うのはマナー違反である。
  • デュエル・マスターズは先攻・後攻をジャンケンで決めるため、ビートダウンミラーマッチのように、先攻が圧倒的に有利な状況になる場合が、(ジャンケンによる)運ゲー、ジャンケンゲー、先攻ゲーなどといわれることがある。
    とはいえ、大会でもカジュアルでも十分起こり得るため、多少は覚悟すべきである。

参考

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